踊り子。
2006/07/12

 
 家に帰ると、坊ちゃんが新しいプラレールを持って出迎えてくれた。

 「父さん、ホラ、踊り子買ってもらった。」

 誕生日までにはまだかなり間があるが、ヨメが誕生日プレゼントとして買ってしまったらしい。坊ちゃんは時々スーパーで機嫌が悪くなって、駄々をこねて、手が付けられなくなるときがあるのだが、今回は、誕生日プレゼントの先行購入という策で、事態を乗り切ったらしい。

 じゃあ、もう、つがる買わなくてもいい?

 いいよ。だって、踊り子あるんだもん。

 よし。いい子だ。

 坊ちゃんがコレクトしているプラレールは、これで四車種目。トーマス、金太郎、桃太郎、踊り子。プラレールは車種は違っても、基本的に中身は一緒。使用する電池も一緒。にも関わらず、走行速度が車両ごとに全然違う。

 メーカーはこまめに商品改良を施しているらしく、新しいものほど、走行速度が速く、音も静か。一番新しい踊り子は、今までのプラレールとは比べ物にならないほどのスピードで、青いレールの上をスーッと走っていく。

 うわ、踊り子、メッチャ速い。

 しかし、同じ線路の上を、別のプラレールと一緒に走らせると、踊り子が他のプラレールを全て突き飛ばしてしまう。突き飛ばされたプラレールは床の上を走っていって、ソファーの下にもぐりこんで、そこで行き詰まって、ガチガチと音を立て始める。

 そのたびにほうきの柄でプラレールを取り出さなくてはならない。

 うわ、踊り子、メッチャ速い。と喜んでいる坊ちゃんの横で、いつも俺はソファーの下を必死で捜索している。
 

 

つがる。
2006/06/26

 
 8月になると、坊ちゃんは3歳になる。まだ誕生日までは一ヶ月以上あるのだが、ききわけが悪いときのご機嫌取りののために、すでに誕生日プレゼントネタを使っている。

 いい子にしていたら、「つがる」買ってあげるからね。

 もう、そんな悪い子には「つがる」買わないぞ。

 どれだけ駄々をこねていても、大抵の場合は、この殺し文句で落ちる。困った時の「つがる」様。もう、「つがる」様様だ。

 「つがる」とは青森県の八戸と弘前を結ぶJR東北本線を走る特急電車のこと。近未来的なデザインの車両で、なかなか存在感がある。全国のちびっこたちや鉄道マニアの憧れの車両、なのかどうかは知らないのだけれど、少なくともうちの坊ちゃんが今一番気に入っている電車なのである。

 坊ちゃんは、この「つがる」のプラレールが欲しいと言っているのだ。よしよし、プラレールぐらい、買ってあげようじゃないか。いい子にしていたら、買ってあげるぞ。

 ところが。
 プラレールのカタログをパラパラとめくってみるが、「つがる」が見当たらない。あれ。このカタログは古いのかな。じゃ、インターネットで。あれ。出てこない。あれ。

 こんな人気のある特急電車が、プラレールにラインナップされていないはずはないと思うんだけど。特急電車の中では一、ニを争う人気車両のはずなんだけど。いや、それについて確かめたことはないんだけど。ひょっとして人気があるのは、うちの坊ちゃんにだけなのか。

 プラレールに「つがる」はラインナップされていません。

 ひゃあ。
 どうしよう。約束が守れないじゃないか。このままでは、俺、うそつき父さんになってしまう。坊ちゃんとの信頼関係が壊れてしまう。

 頼む。お願い。プラレールの「つがる」を作って下さい。お願いします。
 

 

おじいさん。
2006/06/16

 
 坊ちゃんをお風呂でゴシゴシ洗っていると、坊ちゃんが天井をじっと見て怪訝そうな顔をしている。どうしたの?と聞くと。

 おじいさんがいるよ。ホラ、あそこに。

 ぎゃー、怖ぇっっ。

 坊ちゃんが指差す方を恐る恐る見てみるが、当然そこには何もいない。うわっ、怖い。めっちゃ、怖い。やや、ちょっと待った。怖がるのはちょっと早いな。おじいさんって事は、神様ってこともあるわけだ。やさしそうな神様が、俺たち親子を微笑みながら見守っている、ってことなら全然OKじゃないか。

 おじいさん、笑ってる?

 うんん、笑ってない。ウッ、って顔をしているよ。

 坊ちゃんはそう言って、俺には見えないおじいさんの顔の真似をしてくれた。グワッと目を見開いて、眉を吊り上げて、すごい形相で怒りながら睨み付けている、そんな表情だ。

 うわーん。怖い。

 おじいさんは何してるの?

 えっとねぇ、黄色と赤の服着て、ウッ、ってしてるよ。

 うわ、派手なおじいさんだな。普通、幽霊は白じゃないのか。でも、派手なおじいさんって、余計に怖いよ。

 あ、おじいさん、父さんの後ろに来たよ。

 ぎゃゃゃゃっ、怖っっっっっ。

 もう、慌てて出てきました。めっちゃ、怖い。

 実は、風呂場で坊ちゃんが、誰かがいる、と言うのは、今回が初めてではない。この間は湯船の中に、カヨちゃんって子供がいたらしい。俺は科学的なものの見方をする人間で、その手の類については、いつも懐疑的なスタンスをとっているのだけれど。

 でも、やっぱり、怖ぇよ。ホント。
 

 

梅雨。
2006/06/15

 
 更新を怠っている間に、梅雨だ。

 梅雨と書いて、ツユと読む。使い慣れた言葉の中にも日本人の美的感性がにじみ出ている。

 これはもともとは中国語から伝わった言葉で、梅雨と書いてバイウと読む言葉だったのだそうだ。中国では、湿気が多くてカビの発生しやすいこの時期の長雨を、カビ(黴)の雨、黴雨と書いてバイウと読んでいた。しかし、それではさすがに気持ち悪いので、同じようにバイと読む梅という字を当て字にして、梅雨と書くようになった。

 日本でも長い間、バイウと読んでいたのだが、江戸時代頃から、ツユと読むことが広まったと言われている。水滴を意味する露や、ちょうどこの時期に収穫する梅が、潰ゆと濡れそぼっている姿から、ツユと読み替えるようになったのだそうだ。

 つまりこれは、江戸っ子の粋で気の利いた洒落だったのだ。
 いやはや、そのセンスのよさには脱帽である。

 バイウという濁音の混じった音より、ツユという音のほうが、はるかに言葉の響きが美しいし、しっとりとして、つややかで、色っぽい。更に、ツユと言う音と梅雨という文字とのシナジー効果で、風情のある美しい情景を連想させてくれる。

 とかく憂鬱になりがちな梅雨の長雨も、江戸っ子の遊び心に思いを馳せながら眺めると、ちょっと楽しくなってくる。雨が、情緒あるオシャレな空間を演出するエッセンスに感じられる。軒先から、一定の間隔を置いてポタンと落ちている雫の音は、水琴窟(すいきんくつ)の響きのように心を和ませてくれる。

 梅雨には梅雨の楽しみがある。
 

 

キャベツ。
2006/05/29

 
 記憶すると言うことと同じぐらい、忘れると言うことも大切な脳の機能だ。我々は常に、実に様々な情報を取り入れ、それを処理して生活している。一挙手一投足、指を一本動かすのにも脳が判断をして命令を下しているが、その判断のためには、様々な情報を取り入れることが必要だ。

 そして、一旦取り入れた情報を取捨選択をして、脳に留める必要があるものは記憶として留め、不必要なものは捨てていく。つまり忘れる。この忘れるという能力がなければ、我々の脳は、たちまち膨大な無駄な情報に埋め尽くされて、正常に機能しなくなる。忘れることは大切な脳の機能だ。

 生まれたばかりの赤ちゃんは、この忘れると言う機能がまだ充分ではない。そもそも、情報の取捨選択が出来ないのだ。何が大切な情報で、何が不必要なのかの判断が出来ない。だから、見るもの、聞くもの、触れるもの、嗅ぐもの、とにかく全ての感覚情報をどんどん取り入れて脳に蓄積していく。

 成長と共に、徐々に情報の取捨選択が出来るようになり、忘れることも出来るようになっていく。その機能が完全になるのが、大体三歳ぐらいだと言われている。そして、その機能の確立した頃、驚くべき現象が起こる。

 記憶のリセット。

 忘れる機能が確立した頃、記憶が一旦リセットされて、それ以前の過去の記憶の多くが、消滅してしまうらしいのだ。

 しかし、その、記憶のリセットするまでの間は、それまでに経験したことを、かなり詳細に記憶に留めている。興味深いのは、脳が機能し始めたそのスタート時点からの記憶、つまり胎内の記憶が残っている場合も多いと言うことだ。

 記憶のリセットを迎えていない子供に、お腹の中ってどんなだった?と聞くと、胎内の様子や中で感じたことを話してくれる事も多いらしいのだ。

 ふぅ。長い前置きでスミマセンね。
 で、ここからが今日の本題。

 最近やたら言葉が達者になってきたうちの坊ちゃんにも、胎内の事を聞いてみた。

 ねぇ、生まれて来る前のこと、覚えてる?どんなところにいたの?

 「えっとぉ、タマネギの中にいたの。タマネギの中から、ポォって生まれたの。」

 えっ、そうなの?そうだったっけな。あー、そう言われてみれば、タマネギだったような。って、おい。

 「とうさんは、キャベツから生まれたの。」

 ええっ、そうなの?俺も野菜から生まれたの?つーか、何で俺のことまで知ってるの?って、もう。カワイイっ。カワイすぎですよ、お客さん。ホント、どうしようってぐらいカワイくて、もー幸せっ。

 と、結局、親バカ日記になってしまった。インテリジェンスな書き出しだったのに。
 

 

生きている。
2006/05/26

 
 更新が滞っているが、忙しくて。新規事業立ち上げに伴う、膨大な業務に忙殺されている。どうだ、こう書くと、ちゃんと仕事しているっぽいだろ。いや、っぽい、のではなく、ちゃんと仕事しているんです。うんこ踏んだりアスパラガスを引っこ抜いているだけだと思ったら、大間違いだ、コノヤロー。

 坊ちゃんと手を繋いで歩くとき、坊ちゃんが歌を歌いながら、そのリズムに合わせて歩いたりする。例えばトトロの歌「あるこー、あるこー」とか。元気に手を振って大きな声で歌いながら歩く姿はとてもカワイイ。歌う歌はその時々の気分によって違うのだが、最近、へんてこな歌を歌うようになった。

 〜おともだちが、いきている〜
 〜おともだちを、たすけてよ〜

 な、何だその歌は。いくら何でも、シュールすぎだろ。
 

 

アスパラガス。
2006/05/17

 
 植えてもいないのに、庭にアスパラガスが生える。

 気が向いたときに、庭の草抜きをするのだが、庭のある箇所に、何故かいつもアスパラガスが生ている。アスパラガスなら食べればいいじゃん、とお思いだと思うが、無理。食えねぇって、気持ち悪い。

 発見したときはいつも、背丈が50センチほどになっていて、茎はカチカチで木みたいに堅く、枝やら細い葉っぱやらがワサワサになっていて、スーパーの店頭で見かける食用のものとは、およそ似ても似つかない。アスパラガスは芽が出たばかりのところを引っこ抜いて、食用にしているんだなぁ、と、要らぬ豆知識を蓄積しながら、そこに生えているアスパラガスを全て根こそぎ引っこ抜いて捨てる。

 それからしばらくして、忘れた頃にふと見ると、またアスパラガスがワサッと生えている。ぬぉっ、いつの間に。で、また全部引っこ抜いてしばらくすると、またワサッと。抜いても抜いても、ワサッと。しかも、最近その数が少しずつ増えてきたような気がする。

 これが噂に聞く呪いというものか。
 アスパラガスの呪い。

 まぁ、別にいいけどね。好きに呪え。お前の力はその程度か。効かぬわ、ぬははは。庭を埋め尽くすぐらい、呪ってみろや。ぐははは。

 庭を埋め尽くすほど、アスパラガスが生えるようになったら、売ります。まぁ、その、呪いのアスパラガスだってことは伏せて。
 

 

愛嬌。
2006/05/12

 
 ひょうきんにおどけている坊ちゃんに、「お前は、愛嬌があるなぁ。」と言ったら。

 うん、あるよ。こっちにあるよ。

 と言って、どこかに走っていってしまった。坊ちゃんの愛嬌はどこかに転がっているものらしい。一体どういうものなんだろうな、それは。どんな形をしているんだろう。何色?
 

 

フレンチ。
2006/05/11

 
 数年前に二回だけ行ったことのあるフランス料理屋から、季節ごとに一枚のはがきが届く。

 新作ワインの試飲会に来ませんか。
 季節の野菜と子羊のコース料理はいかがですか。
 新作メニューの発表会をします。

 その時々の季節を感じさせる絵柄と、料理のメニューと、そしてつつましい、いざないの言葉。そのはがきが届くたびに、僕は新しい季節が来たことに気づく。

 緑色の芝生を敷き詰めた広い敷地の真ん中に、白い小さな建物がポツンと立っていて、白いアプローチが建物に続いている。緑色と白色のみで構成された空間に、季節の花々が彩りを添える。さながらそれは一皿の美しいオードブルのようだ。少しだけおめかしをして、その日を少しだけ特別な日にして、真緑色の絨毯に敷かれた白いアプローチを歩く。

 そんな情景を思い浮かべるだけで、ちょっぴり贅沢な気分になれる。一枚のはがきが届けてくれる、心のご馳走。

 坊ちゃんがもう少し大きくなったら。そうしたら家族三人で。
 

 

大人。
2006/05/10

 
 大人になった今でも、定規で線を引く時、定規から指がちょっと飛び出した状態で線を引いてしまい、線がポコっとなってしまうことがある。これって、誰もが経験することなのか、それとも、うっかりさんの俺だけがやらかしてしまうミスなのか、その辺が定かではないのだが、俺は子供の頃から一貫して同じミスをしている。

 子供の頃、大人になったら絶対しないだろうと思っていたことを、いつまでたってもやってしまう自分がいて、大人って言っても全然たいしたことないなと悟り始めた。

 パンチの穴の開いている書類の穴の中を、グリグリと塗りつぶして黒い丸を描いたり。消しゴムのカスを集めて、でっかい消しゴムのカスを作ってみたり。そして、それで字を消してみたり。クリップを繋げて鎖を作ってみたり。そして、その鎖を振り回して、鎖鎌を振り回している気分を味わったり。

 大人なんて、しょせんこんなものだ。

 って、言い切ってしまったが、こんなのは俺だけかも知れない。他の大人は、もっとちゃんとしているのかも知れない。どうなの?そこんところ。

 ただ、子供のままの俺ですが、うっかりうんこを踏んでしまった時、うんこの付いた靴を振りかざして、人を追いかけ回すことはなくなりました。

 ええ、そうです。踏みました。うんこ、踏みました。

 犬の散歩の時のエチケットが社会に浸透し、野グソなどこの地上から消滅したと思っていて、すっかり油断した。チクショー。

 水溜りの中でグリグリして、側溝の角でズリズリして、うろたえている俺を、道行く人がニヤニヤとしながら見ていたので、思わず、靴を振りかざして追いかけてやろうかと思ったのですが、ぐっと踏み留まりました。

 俺って、大人。
 

 

コバヤシ君。
2006/05/09

 
 突然なのですが、この場を借りて、コバヤシ君の彼女を募集したいと思います。

 え?コバヤシ君?って誰?

 福袋的なワクワク感を演出する為に、彼がコバヤシ君という名前であること以外は明かしません。後は、自分で感じて。自分のインスピレーションで感じてください。恋に説明なんて必要ないのです。

 年齢は20歳以上の成人であれば上限は設けません。但し、性別は女性に限ります。独身で、現在お付き合いされている恋人がいない人であれば、離婚暦があっても全然OK。

 全く誰にも相手にされないような、しょうもない企画の匂いがプンプンしますが、俺的にはかなりマジです。コバヤシ君の彼女をマジに見つけたい。マジメにお付き合いしていただける人で、何かピーンと来た人がいたら、どしどし応募してください。

 結婚する時には、俺が感動的なスピーチをして、ギターの弾き語りで歌を捧げる、って特典もありますよ。

 応募はココから。
 
 

 

鯉のぼり。
2006/05/03

 
 坊ちゃん、鯉のぼりが大好き。

 去年も、鯉のぼりに熱狂する坊ちゃんのことを書いたが、今年も引き続き鯉のぼり好きの坊ちゃん。しかし、一年と言う時間の経過と共に、坊ちゃんもバージョンアップしているから、鯉のぼりに対する反応も、去年とは一味違う。

 まず、鯉のぼりって言えるようになった。去年は「おかさな」だったからね。池の鯉も、魚屋の生簀の鯛も、食卓のサーモンのソテーも、鯉のぼりも、全部同じおかさなだった。今年は、鯉のぼりのことは鯉のぼりって呼んでいる。そればかりか、鯉のぼりの歌も歌える

 そして、ハンディタイプの小さな鯉のぼりを、鯉のぼりの歌を歌いながら、物凄いスピードでブンブンと振っている。

 そして、おまけ。キャベツの歌
 

 

レオ。
2006/04/29

 
 今まで内緒にしていたのですが、実は俺、モノマネできます。えっと、レオの。

 レオと言っても、ジャングル大帝レオとかウルトラマンレオとか、あと、レオナルド・ディカプリオとか、色々あるのですが、俺がモノマネするのは森本です。森本レオ。いや、もう激似。ほとんど同一人物。ほとんど同一人物なのですが、やっぱり俺なんで、森本レオが言わないようなことを、森本レオの声で言うことが出来ます。

 うんこ、漏らしちゃった。とか。
 

 

石ころ。
2006/04/26

 
 道端に石ころが落ちていたので、なんとなく蹴ってみた。石ころは、僕の歩く先に、コロン、コロンとつまらなさそうに転がった。僕はそこまで歩いていき、その石ころを、もう一度、なんとなく蹴ってみた。石ころは、今度はさっきより少し楽しそうに、コロン、コロンと弾んだ。

 コロン、コロンと、石ころが転がって、僕はそこまでテクテクと歩いていく。そして、また蹴飛ばすと、コロン、コロンと転がる。何回かそんなことを繰り返すうちに、なんだか、子犬と戯れながら散歩しているような楽しい気分になってきて、僕は夢中で石ころを蹴りながら歩いた。

 コロン、コロン、テクテク。

 いつも黙々と歩くだけの道。いつも僕は、つまらなさそうに歩いているんだろうな。今日は石ころのおかげでいつもより楽しい。そして、いつもよりその時間が短く感じられ、あっと言う間に目的地に着いてしまった。

 僕が目的地に着いたことを、石ころはまだ知らない。僕に蹴られるのを、道の上でポツンと待っている。

 今日は、もうおしまいだから。また、遊ぼうね。

 僕の言葉を理解しているのかどうか分からなかったが、石ころはまだ道の上にポツンと転がっている。僕は石ころにさよならを言って、古いビルの錆び付いた階段を、タンタンタンと音を立てて登った。
 

 

ないものねだり。
2006/04/25

 
 毎年、その季節にならないと思い出さないことって、ある。寒い冬の間、待ち焦がれていた陽気が町を包み始めて、汗ばんだ首筋の不快感を思い出す。楽しいことと、辛いことは、どの季節にもいつも同時に存在していて、それぞれに味わい深い時間が流れているのに、いつも別の季節にあこがれてしまう。

 今、待ち遠しいのは、まぶしくてキラキラとした夏。きっと夏になったら、凛と身の引き締まる冬の朝を懐かしむくせに。

 今日は少し立ち止まってみよう。今しか感じられないことが沢山あるはずだから。
 

 

ランドセル。
2006/04/23

 
 ピンク色に咲き誇っていた桜の木は、いつの間にかまぶしい若い緑の芽に包まれている。ピカピカの真新しいランドセルを背負った、一年生も、ちょっぴりその姿が様になってきたような気がする。

 さて、小学生が背負っているランドセル。横のところに金属製のフックが付いていますよね。俺の小学校時代は、このフックに、給食で使う布巾やコップを入れた巾着袋を吊るしていたのだが、これって、もともと何を引っ掛けるためのものか知ってます?

 これは、手りゅう弾をぶら下げておくためのフック、なんですって。

 ええっ、手りゅう弾?そんなん学校に持ってっていいの?っていうか、何処に売ってるの?えっと、金物店?えっ、えっ?と激しく動揺した読者の皆さん。安心してください。今は別に手りゅう弾をぶら下げなくてもいいんですよ。まぁ、手りゅう弾があるなら、そのほうが望ましいと思うんですけど、なかなか手に入らないですからね。

 ランドセルは、もともと軍隊で歩兵が使っていた背嚢(はいのう)と言う背中に背負うリュックサックが起源なのだそうだ。背嚢についていたフックが、ランドセルにも引き継がれて現在に至っているのである。ちなみに、我々になじみのある、あの形のランドセルは、学習院型と言って、大正天皇が学校に行く時に使っていたのが原型なんだとか。で、それを寄贈したのは、伊藤博文なんだそうです。

 ちなみに、伊藤博文といとうけんじは何の関係もありません。悪いけど。
 

 

真夏の情景。
2006/04/19

 
 チョビへ。

 今日はどうもありがとう。

 チョビのお姉さんも見物したと言う映画の撮影は、我が家から徒歩五分のところでやっていました。チョビのお姉さんの家もすぐ近くだとしたら、それはつまりご近所さんだということです。十年前に一度だけ会ったっきりの人を、街ですれ違っても見つけることは難しいと思うのですが、それでも、体温が感じられるぐらい近い空間に、十年前に一度っきりだけど時間を共有した人がいるかもしれないと思うことは、とても楽しいことです。

 十年前のあの日、僕が滞在している真夏の海岸に、チョビとお姉さんは真っ赤なオープンカーでやって来ました。そして僕は、そのオープンカーに乗せて欲しいとわがままを言って、お姉さんと二人で海岸をドライブしたのです。真っ黒に日焼けして、日焼けした肌が、あちこちポロポロとむけている僕に、お姉さんは快くステアリングを握らせてくれました。

 この車は、速度が上がると、ステレオのボリュームも自動的に大きくなるんですね、とか、そんな話をしたのですが、今思えば、もっと気の利いた話をすればよかった。海がきれいだとか、風が気持ちいいとか。

 だって、本当に、海はきれいで、風は気持ちよかったのですから。
 午後の日差しは、穏かな海面をキラキラと輝かせて、クネクネと海岸に沿って走る道を光に包んでいました。僕たちのスポーツカー以外に走っている車はほとんどなく、僕はアクセルを踏んでぐんぐんとスピードを上げました。夏の午後のけだるい空気は、心地よい風となって僕たちと一緒に戯れました。

 僕の心の中にだけ、一枚の鮮やかな絵のように色褪せることなく光り続けている、とある
真夏の情景は、今でも僕の宝物です。
  

 

菓子撒き。
2006/04/15

 
 本日めでたくエンドー君が結婚した。とってもお似合いのバカップルで安心した。もう、ずーっとイチャイチャしてんのよ。もう、ずーっと。

 相変わらず要領の悪いエンドー君と天然の奥さんで、まぁ、色々大変だとは思うが、このバカップルなら大丈夫。夫婦の絆だけは確かだ。しかし、それでいいのよ。夫婦の絆さえしっかりしていれば、どんな問題が起きようと、どんな状況に置かれようと、大丈夫なのだ。

 おめでとう、エンドー君。幸せそうで何よりです。

 エンドー君の結婚式は、大須商店街の中にあるイタリア料理のお店でやったのだが、終了後、二階のテラスから商店街のアーケードに向かって、菓子撒きを行った。さすが名古屋だ。結婚式は、菓子撒きだ。

 もちろん俺は列席者なので、下で拾う人。
 しかし、この菓子撒きの菓子を拾うっつーのが、何と言うか、物凄く惨めな気持ちになる。エンドーが上からばら撒くのはせいぜい10円とか20円の駄菓子ですわ、キャベツ太郎とか、うまい棒とか、チロルチョコとか。それをさ、地べたにはいつくばって、我先競って、奪い合うって、どうよ。どうなのよ。もう、小汚い貧民が大富豪から施しを受けているような屈辱。チクショー。

 キャベツ太郎を拾おうとしたら、他の女性と手が触れ合ってしまって、どうなの、それは。シチュエーションが違えば、恋にでも発展しそうな手のふれあい。でも、その手の下にあるのはキャベツ太郎ですから。それも、エンドーが大富豪を気取って、俺たち貧民に施したキャベツ太郎ですから。

 チクショー。ぶっ飛ばすぞ。
 

 

啓蟄。
2006/04/13

 
 気温が暖かくなってきて、目下の懸案に浮上したのは、クワガタムシだ。そろそろ動き始めるんじゃないかな。もう、どうしよう。

 ワタナベ君にもらったクワガタムシは、今日まで一切のメンテナンスをしないまま放置してある。冬場はじっと動かず冬眠しているクワガタムシ。今までは、まったく何もしなくても良かったのだが、動き始めたらそうはいかないだろう。

 何を食べさせたらいいのかな。
 水槽の手入れはどうしたらいいのかな。
 坊ちゃんが、見せろ、触らせろって言うんだろうな。
 また、鋏まれたらどうしよう。俺が鋏まれるのはいいとしても、坊ちゃんが挟まれたら大怪我をしかねない。

 とりあえず、鋏まれた時の緊急避難用に、殺虫剤を用意して、クワガタムシの水槽の横に置いた。ゴキブリを秒殺するジェットタイプの強力なヤツ。

 で、次にどうしよう。
 

 

春爛漫。
2006/04/12

 
 スイッチが入ったように、完璧な春が来た。今日ほどの春らしさを見せ付けられたら、昨日までの季節なんて冬だ。

 雨上がりの潤んだ空気を肺一杯に吸い込むと、春のくすぐったいピンク色の匂いに包まれる。山奥の小川の清流で、上半身裸になって、ジャブジャブと顔や頭を洗って、そよぐ風に当たりながらまぶしい空を眺めているような、そんな清清しさが、体の隅々に染み込んでいく。

 いや、いっそ、本当に脱ぎたい。コンクリートジャングルの、人が行き交う交差点の真ん中なのだけど、脱いで上半身で風を感じたい。ついでに下半身も脱いだら、もっと気持ちいいんだろうな。そんな野性の本能が俺を突き動かし、全てを解放してしまいたい欲求に駆られたが、ぐっと堪えた。が、勢いあまって、屁が出た。

 ねぇ、何か焦げ臭くない?
 ホントだ。プラスチックが燃えてる匂いがする。

 側を歩いていたOLらしき人が話している。あ、ゴメン。それ、俺の屁です。なんか、今日の屁は、石油由来製品が燃えたような匂いがするんです。

 その匂いも、雑踏と春の風にまぎれてすぐに消えた。何処からか、桜の花びらが舞って来て、俺の頬をかすめて、そしてどこかに消えた。ああ、春だな。

 春爛漫です。
 

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