プロのテク。
2005/04/25

 
 取引先とちょっとしたトラブルがあり、向こうの営業マンがお詫びに来た。その営業マンの髪型が、フランシスコ・ザビエルだった。頭のふちを、ぐるりと囲むように毛が残っているが、頭頂部は毛がない。ザビエルで分からない人は、河童をイメージしてください。

 そんな頭で、何度も深々と頭を下げるものだから、おかしくておかしくて。もう、しょうがないなぁ、って許す気になってしまう。何だか彼のことを憎めない。そればかりか、ちょっと好きになりそう。

 この人はきっと誠実なんだな。
 裏表のない正直な人なんだな。

 って、おい。危ねぇ、危ねぇ。
 まんまと奴の術中にハマるところだった。奴が包み隠さずさらしているのは、頭頂部の頭皮だけだ。それだけなのに、奴を善人と思い込んでしまう。いゃ、思い込まされてしまう。多分これは、計算づくの演出なのだ。ホント油断ならねぇ。

 外見を取り繕う時は、少しでも見栄えよく見せようとするのが常だ。だからそれをしないことは、正直に自分をさらけ出しているかのように思える。そういう人の心理を逆に利用した演出。あえて、不恰好に、何も取り繕っていないかのように装い、自分を善人に見せようとするテクニックなのだ。でなければ、あんな奇抜な髪型でいる理由がない。

 プロだ。
 この人は、プロだ。どの世界にも、その道のプロと呼ばれる一流の人がいるが、奴もまさにその一人だ。一流のプロだ。何のプロかというと、トラブル処理だ。トラブルが生じた時に、穏便に解決するために出動するのだ。その場に居るだけで、その場を和ませるように訓練されたエキスパートたち。そんなプロ集団が、この世には存在するのだ。

 でも、こんな一流のプロの仕掛けた巧妙な罠を、鋭い眼力で見抜く俺も、なかなかな男だと思いませんか。
 

 

ローマ法王。
2005/04/21

 
 新しいローマ法王が選出された。法王ってのが、どういうポジションなのか、よく分からないのだが、スゴイ地位なのだと言うことはよく分かる。何せ法王ですもん。

 その法王が、選挙みたいな方法で選出されると言うのが驚きだった。つまり俺も、その世界に入り、しかるべき過程を経れば、ローマ法王になれる可能性があると言うことだ。うむ。そういう人生もありかな。
 

 

個人情報保護法。
2005/04/20

 
 4月から個人情報保護法という法律が施行された。その対応の為に、法人内の規定や基準を作ったり、書類を整備したりする仕事をしてきた。その影響で、やたら言葉遣いが堅苦しくなってしまった。

 ○○の定義は次の通りとする。
 但し、○○の場合は、この限りではない。
 ○○を遵守することとする。

 ギー。もう、うっとうしい。
 日本語は難解に堅苦しくしようと思ったら、どれだけでもできる。もっと簡素に、一般的な言葉遣いで、分かりやすく書こうと思ったらできるのに、この手の規定や法令文書はわざわざ難しい言葉を使う。もう無駄だ。難解な文章を書くのも読むのも、労力を要するし、書面も長ったらしくなって。ホント、うっとーしー。

 でも、気弱な俺は、それに抗うことができませんでした。
 「もう、絶対に、ひ、み、つ。約束破ったら、弁償してもらうからね。」とか、「喋ったら、タダじゃおかねぇぞ、このヤロー。」とか、軽いタッチで規定文章を作りたかったのだが、それができる立場にいながら、できませんでした。

 それどころか逆に影響されて、普段の言葉遣いまで堅苦しくなってしまって。俺って、意思が弱い。次こそは、ラフな公文書作りますんで、ご期待ください。
 

 

食いしん坊
2005/04/19

 
 保育園に坊ちゃんを迎えにいくと、保母さんが「夕方、ちょっと寂しかったのか、パパ、ママ、と言って泣いていました。」と教えてくれる事がある。本来なら、「そうか、そうか、寂しかったか、よく頑張ったね。」と、やさしい言葉をかけるべきなのだろうが、そうはいかぬ。

 坊ちゃんが泣きながら求めていたのは、親のぬくもりではない。

 坊ちゃんは、俺のことは「トッタン」、妻のことは「カーカン」もしくは「オカーチャマ」と呼んでいる。つまり、「パパ、ママ」とは呼ばないのだ。しかし、日常的に使っている言葉の中に、パパ、ママと酷似した言葉がある。

 「マンマ、マンマ。」
 「パン、パン。」

 マンマは食事を意味し、パンは文字通りパンである。

 この食いしん坊め。
 

 

ビタミン。
2005/04/13

 
 車のボンネットに桜の花びらが積もっている。車を走らせるとそれがヒラヒラと舞い上がり、フロントガラスに切り取られた景色の中に桜吹雪が舞った。いつの間にか、季節は春である。

 季節感が希薄になりがちな生活を送っているので、季節ごとの美しい瞬間を見過ごしてしまいがちだ。美しい瞬間に立ち会ったときの、心のざわめきが今の僕には足りない。それは生きていくために必要不可欠な栄養素のようなものだ。

 心のビタミン。

 今日、あなたはビタミンを摂りましたか。
 

 

モズク。
2005/04/06

 
 我が家の坊ちゃん、食いしん坊。かなり食べる。食欲大魔神だ。

 食欲大魔神の為に用意する食事の量は、大人のそれと同等か、それ以上なのだが、あっと言う間に完食し、俺の食事にも手を伸ばしてくる。俺の横にちょこんと座って、かわいく、「ちょうだい。」などと言うものだから、ついつい食べさせちゃう。

 で、俺から横取りして食べるものは、新玉ねぎのサラダとか、からしの効いた納豆とか、めかぶとか、およそ子供が好まないようなもの。それを平気でムシャムシャ食う。

 昨日は、モズクを一パック完食しました。さすがにちょっと酢がきつかったみたいで、ブルッと震えながら、ウェホッとむせながら、それでも汁も残さずに食べきりました。
 

 

ナンバー。
2005/04/05

 
 少し前に、どうしても我慢しきれず、また車を買ってしまったのだが、そのナンバープレートが「66-66」のぞろ目だった。最近は番号指定でナンバーを取得できるので、ぞろ目やキリ番のナンバーも珍しくなくなったが、俺のナンバーは番号指定をしていない。偶然割り当てられたものだ。

 納車された時は、ちょっとうれしかったが、だんだんウザったくなってきた。なんつーのかな、必ず番号指定だと思われるんですよ。

 「ねぇ、ねぇ、何で6666にしたの?」
 「6が四つって、どういう意味?」
 「ムムムム?」
 「ロロロロ?」

 もちろん、その数字に意味になんてない。その旨を質問される度に答えるのが、もう、面倒くさい。

 それに、車のナンバーを番号指定する行為って、クールな人間がすることじゃない気がする。思いっきりはしゃいでる感じがして、ちょっとイヤだ。クールな大人って、基本的に、はしゃいだりしないものだし、こだわりのあるアイテムや道具も、さりげなく身に付けたり使ったりするものだ。

 ち、違うからね。これ、俺が選んだんじゃないのよ、俺、ぜんぜんはしゃいでないからね。と周囲のドライバーに、声を大にして言いたい。チクショー。

 「6」って、「の」と言う字と形が一緒だ。
 のののの。

 うわー、馬鹿っぽい。

 ち、違いますからね、ホント。俺のセンスじゃないですからね。
 

 

うんち。
2005/03/11

 
 坊ちゃん、喋れる言葉が増えてきた。カワイイ声で、舌足らずの発音で一生懸命おしゃべりしてくれる。もうホントカワイイ。我が家の坊ちゃんがスゴイのは、言葉も自分流にアレンジを加えて、自分だけの言葉を創造してしまうのである。

 自動車のことを「ブーブー」と教えたところ、坊ちゃんはアレンジを加えて「ブーワ」と言う。
 「ごちそうさま」は簡略して「ごっちった」。
 「お母さん」は上品に丁寧に「おっかっちゃまー」と言う。
 「なす」は「ん」と言う。これはローマ字で表記したときのNASUから、ASUの部分を省略して発音していると思われる。

 もう、天才。
 もう、きゃわいい。
 親ばかでスミマセン。

 坊ちゃんが「うんち、うんち。」と言いながら擦り寄ってきた。ん?うんち臭いぞ。オムツを開いてみると、できたてホヤホヤのうんちが湯気を立てていた。

 すごーい。

 坊ちゃん、うんちしたことを教えられるようになったんだぁ。すごーい。うんちと言う言葉を覚えていることも、言葉の意味を理解していることも、スゴイ。天才だ。坊ちゃんが「うんち。」と教えてくれるたびに、きゃーん、すごーいと大興奮してしまう俺。

 でもこれは坊ちゃんだから成立する会話であって、同じ台詞を俺が言ったとすると、とんでもないことになるだろう。例えば、満員電車の中で後ろを振り返り、そこにいるおっさんの目を見つめて、可愛らしくうんち、うんちと言ったとする。ついでにホントにうんちをしてみたりもする。
 ぎゃーっ。

 電車内は大パニックになって、滅茶苦茶になってしまうだろう。場合によっては死人が出るかも知れない。もはやこれはテロだ。

 ムフフ。でも、これはちょっと楽しそうだな。

 ちょっと言ってみたい。言ってもいいかな。

 やっぱダメかな。
 

 

花粉。
2005/03/10

 
 花粉で皮膚が痒い。高度に発達した文明の代償として、我々人類が背負うことになってしまった病気、アレルギー。その代表である花粉症に、例外なく俺も悩まされている。

 いつから花粉症になったのだろうか。俺は昔は花粉なんて平気だったのだ。正直言うと、花粉症にちょっと憧れていた時代もあった。何かカッコよく見えたんですよ花粉症が。目に見えない粒子のせいで体調が悪いなんて、物凄くデリケートで繊細な感じで、ちょっと頭よさそうに見えて。

 あと、同じ話題で盛り上がりたいじゃないですか。花粉症トークで盛り上がっているのに、「俺、全然平気。」とか言いにくい。空気が読もうよ。で、ホントは、全然平気なのに、わざとクシャミしてみたり。目をこすってみたり。

 馬鹿だった。

 俺ってホントに馬鹿だった。

 花粉症がこんなに辛いなんて。
 のん気に馬鹿なことを考えている間にも、体の中にスギ花粉のIgE抗体は確実に蓄積され、憧れが現実のものなって現れてしまった。全身が痒くて死にそう。壁とか机の角に、体をこすり付たい。「ここ、俺の縄張りーっ。マーキングー。」とか、そんなベタなギャグすらも言えないぐらい痒くて苦しい。
 

 

京都議定書。
2005/02/18

 
 なんだか風の中に、かすかに春の匂いがします。ふんわり柔らかな春の匂い。風がなければコートなしでも我慢できるし。春がすぐ近くまで来ていることを実感する。

 メルヘンチックな書き出しをしたが、実はこれは深刻な問題なのだ。春って、まだ早すぎるっちゅうねん。思いっきり温暖化しとるっちゅうねん。ほんのりやさしい春の匂いも、深刻な地球環境の破壊を知らせる警告であることを、我々は肝に銘じなければならない。

 地球温暖化を食い止めるために、具体的に力を合わせて取り組もうと、世界中に呼びかけた国際条約「京都議定書」が発効された。全人類が本気で取り組まなければならない問題であるが、その足並みを揃えるのは大変難しい。京都議定書も、問題山積みのままの発効だが、それでも未来につながる大きな一歩であると信じたい。

 未来の人類にとっても春の到来が心躍る季節であって欲しい。
 

 

南セントレア。
2005/02/05

 
 南セントレア。

 アフリカかどこかの国名のようだが、これは日本の一つの市に付けられようとしている名前だ。愛知県の知多半島にある、美浜町と南知多町が合併してできる新しい市の名前が、南セントレア市に決定したそうである。

 ダセェ。チョーダセェ。馬鹿か。

 カタカナ英語(決して正しい英語とは限らない。)が大好きな時代遅れのジジイ達が、またまた馬鹿なことをやってくれました。愛知県の知多半島沖にまもなく開港する中部国際空港セントレアにちなんで、市の名前までセントレアにしてしまいました。

 例えば、純血の日本人、田中さんご一家のご長男に、マイケルという名前を付けるのと同じです。田中マイケル。斉藤キャサリン。伊藤ジェームス。ううう。痛すぎる。

 新しい市の名前を制定するに当たって、一般公募もして民主的に事を進めていたのに、突然、合併協議会がこの名前に勝手に決めてしまった。もちろん公募で応募があった名前ではない。合併協議会が勝手に決めた。

 そこに住んでいる住民を声を完全に無視する行為は、民主国家の根底を揺るがすもので絶対に許してはいけない。

 いゃ、許してはいけないのは、そのネーミングセンスだ。

 大切なのは民主主義よりも、ネーミングセンスだ。

 俺はこの運動を、心から応援する。
 

 

自慢。
2005/02/04

 
 報告が遅くなってしまったんですけれども、「私の勘違い」ヤフーのインターネットガイドと言う雑誌に掲載されました。(2005年3月号、44ページ。)

 報告しようかどうしようか迷っているうちに、報告が遅れました。もう店頭においていないかもしれません。コアないとうけんじファンで欲しい人は書店に急げ。

 俺のサイトが紹介される雑誌って、エロい情報が満載されている場合が多かったですので、今まで掲載されても黙っていることが多かったのですが、今回はエロネタの載っていない雑誌で、取り扱いも大きかったので、思い切って自慢してみました。

 うははは。

 どうだ、すごいだろ。
 

 

ツルツル。
2005/02/02

 
 ツルッ、ツル。

 我が町も大雪で、一面白。うほほーい。
 幾つになっても雪が積もると嬉しくなってしまうのは俺だけかな。意味もなく早起きをして、意味もなく外に出てみて、ボコッボコッという新雪を踏みしめる感覚を堪能してから出勤した。

 数日前から大雪が来ることは予想できていたので、車はスタッドレスタイヤに履き替えてある。久々の雪道なので恐る恐る走り出したが、スタッドレスタイヤの性能は素晴らしく、何の問題もなく走る。うほほーい。

 ところが、街に出てみると、何の雪対策もしていない車が、あちらこちらで行き倒れている。もう、バッカじゃねーの。何でノーマル状態で、ノコノコ出て来んのよ。酸素ボンベなしに、スクーバやるのと同じぐらい馬鹿げている。ホント、バッカじゃねーの。

 やがて、道は北側斜面の坂道に差し掛かった。
 と、前を走っていた車が、ズルルと滑り出し、横を向いて止まった。もう、勘弁してくださいよ。その車をよけようと、横の車線を見たら、そこもズルズルと滑って動けなくなった車達が占拠している。ふとバックミラーを見ると、後続の車もズリズリ滑って動けなくなっている。

 全ての車線が、無数の無謀な車に占拠されて、完全に交通はマヒ。

 車と車の間を何とかすり抜けて、脱出した。
 先ほどの峠でほとんどの車が止まってしまっていたので、気がつくと、道を走っている車は俺だけになった。ふぅ、とため息をつきながら、ちょっと得意気な気分。うははは。どうだ参ったか。

 つーか、ちょっと皆さん雪をなめすぎです。

 もう、愚かすぎ。

 道が完全にふさがってしまうと、バスやタクシーなどの公共交通機関もマヒしてしまうんです。ちゃんと雪対策してある車両の通行も妨げるわけです。もう、プンプン。

 そうそう、信号待ちしていたら、見知らぬ青年が泣きそうになって乗せてくれと言うものだから、乗せてあげました。バスもタクシーも来なくて困り果てていたそうで。

 困った時はお互い様。

 人と人との心温まるふれあいまで経験してしまった。やっぱり雪は楽しいな。
 

 

警戒。
2005/01/30

 
 美容院にも床屋にも行くのがどうしても面倒で、また自分で頭を丸坊主にしてしまった。顔にしまりがなくなるので、サングラスをかけ、シングルのライダースジャケットでガシッと決めた。うぉう、ちょっとワイルド。

 街で、我が家の坊ちゃんぐらいの子供がヨチヨチと歩いていた。
 うわっ。きゃわいい。
 坊ちゃんのことを思い出しちゃうな。
 坊ちゃん、今頃何しているかな。

 ヨチヨチ歩く子供を、そんなことを考えながら見つめていると、横から、小学校低学年ぐらいの子供が出てきて、ヨチヨチの子供を抱きかかえて、脅えたように慌てて俺の前から立ち去った。

 いゃ。明らかに脅えていた。

 何に脅えていたかと言うと、俺にだ。

 ズーン。

 怪しい男の人が、子供を狙っている。そんな風に見えたんでしょう。このご時世だし、それぐらい注意深いぐらいがちょうどいいと思いますけどね。

 それでも、ちょっとショックです。
 

 

手遊び。
2005/01/29

 
 坊ちゃん、手遊びが大好き。

 手遊びとは、「むすんでひらいて」とか「げんこつ山のたぬきさん」とか、童謡を歌いながら簡単な振り付けで手足を動かす、幼児向けの遊びだ。先日の保育園の発表会で、上手に披露できたことは既に書いたが、実は坊ちゃん、手遊びが大好きで、日常的に手遊びをしている。

 食事中だろうと、入浴中だろうと、ふと思いついて手遊びを始める。寝る前はベッドの中で手遊び。ウトウトと眠りながら、手を動かしている事だってある。

 とは言っても、坊ちゃんはまだ歌が歌えない。歌を歌うのは我々大人の担当だ。坊ちゃんが手を突き出して、ブンブンと振ったら、それは「手遊びするから、お前ェたち、歌えや。」という合図だ。

 坊ちゃんの手遊びの曲のバリエーションは、10曲近くもある。坊ちゃんが遊びたい曲と違う歌を歌いだすと、しかめっ面をして、首を横にブンブンと振る。

 むーすーんでー、ひーらーいーて。
 「その曲、ちゃうわ、アホ。」

 てーをーたーたーきーまーぁしょ。
 「ちゃう。」

 ペッパー警部っ。
 「そう。それやがな。」

 坊ちゃんがイメージしていた歌を歌いだすと、ニコニコでノリノリで手遊びをする。

 うふふ。きゃわいいっ。
 

 

けんじ。
2005/01/27

 
 俺の名といえば、けんじ、なのだが、ありふれた名前でありながら、この名前が映画やドラマの登場人物の名として使われることはあまりない。芸能人の芸名や、有名人や著名人の名がけんじであることは少なからずある。しかし、同じ名の人がこの世に存在することと、同じ名が登場人物の名として使われることは、天と地ほどの差がある。

 と言うのも、どう言う訳だか、ちょっと前に放映されていたトレンディドラマの主役の名が、けんじと言う名だった。恋愛モノのドラマで、今どき珍しく、物凄くベタでクサい内容であった。

 タダでさえ見ていられないほどのクサいドラマなのに、ドラマのヒロインが、何度も何度も、もう必要以上に、もうホントに、何度も、何度も、「けんじ。」「けんじ。」と連呼するんです。

 もう、その度に、全身にゾゾゾと寒気が走って、アヒャンとなる。

 「けーんじっ。」
 アヒャン。

 「ねぇ、けんじ。」
 ウヒョン。

 「なあに?けんじ。」
 ヌワンッ。

 俺のことをけんじと呼び捨てにするのは、親と親しい友達ぐらいだ。つまり、「けんじ。」と呼び捨てにした言葉を、親しい人以外の口から聞くことは、これまでの人生においてほとんど皆無であった。

 それが、テレビの中から、時に切なく、時に熱っぽく、けんじ、けんじと聞こえてくるのだから、もう死にそうでした。

 お願いですから、もう二度と、登場人物の名前をけんじにしないで下さい。ホント、頼みますよ。
 

 

大人買い。
2005/01/26

 
 大人買いという言葉がある。

 キャラクターグッズとか、おまけ付のお菓子とか、ナントカのカードとか、子供を購買対象として売られている細々とした商品を、大人の財力で、ガバッと纏め買いをすることである。最近じゃ、最初から大人が買うことを想定した商品も沢山売られているし、それのコレクター増えている。

 確かに、大人でなければそんな馬鹿なお金の使い方はできない。

 しかし、その行為が大人でない。

 大人とは社会に対して一定の責務を果たし、自立している人のことであり、ガンダムのフィギアがついたチョコレートを、30箱も纏め買いできる人のことではない。子供の頃を懐かしむ気持ちも分かるが、子供の頃と全く同じように、こんなものに本気で熱中してどうする。少年の気持ちを忘れない大人と言うより、少年のままなだけではないか。

 こんな事に「大人」などという誇り高い言葉を使うべきではない。

 皆さん、ちゃんと大人になろうよ。

 ちなみに、俺は、高校生ぐらいまでは、ガンダムの人形とかで本気で遊べました。ドキューンとか、ブギュュュュとか、口で効果音を発しながら、ガンダムを歩かせたり、戦わせたり。誰もいないところで、一人でこっそりガンダムで遊び始めると、結構熱中したりして。一番躍動感があるポーズとか、一番カッコ良く見える角度を研究したりとか。

 ハッと我に返った時、そんな自分にとてつもなく嫌悪感を覚え、激しく落ち込んでいたものだ。

 時は流れて、俺も一児のパパとなった。
 「コンニチハ、オイラ、シマジロウだよ。」とか言いながら、ぬいぐるみを片手に坊ちゃんと遊ぶ時に、昔の経験がちょっとは生きているかな。
 

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