スパイス。
2003/10/25

 
 香辛料売り場の前で、サフランを買おうかどうか悩んでいた。高すぎるぞサフラン。そんなわずかな量で、その値段はないだろ。五分以上、その場に立ち尽くし、思案に暮れていた。

 ふと、サフランの下の棚に並んでいる黄色のキャップのスパイスのビンに目がいく。ラベルには、ひらがなで「うんこ」と書かれている。

 ええええっ。まじっすか?
 そんなスパイス、ありですか?

 思わずのけぞってしまった。飲尿療法は知っていたが、今度は便かよ。健康ブームも、ついにここまで来たか。こんなものを乾燥させて、堂々と売るとは。世も末だな。

 ん?

 う、こ、ん?

 何だよ、「うんこ」じゃないのか。
 ちなみに「うこん」はターメリックとも呼ばれ、カレーには欠かせないスパイスの一つだ。通常はターメリックと記述するか、カタカナでウコンと書く。ひらがなで書くなよ。紛らわしい。

 うこんに動揺し、結局、サフランは買いませんでした。
 

 

卒業文章。
2003/10/22

 
 重大事件が起きて犯人が逮捕されると、必ず出てくるのが卒業文集だ。「○○容疑者の、中学校の卒業文集の寄せ書きには、ラブアンドピースと書かれていた。」

 関係ないやん。

 事件とは何も関係ない。つーか、書いた当人だって、書いた内容を覚えてないだろうし。書かれている内容から、後の犯罪者の人格の一端がうかがえると言うわけでもない。あくまでも、子供が無邪気に書き綴った文集以外の何物でもない。

 もし、俺が捕まったら。
 ふと、そう思って、卒業文集を引っ張り出してみた。
 どれどれ。

 「世界を征服する。」

 やばいっす。危険人物の匂いがプンプンする。
 「いとうけんじ容疑者の卒業文集には、世界征服とかかれており、当時から異常な性格であったことがうかがえる。」とか絶対に言われてしまうだろう。
 最悪だ。
 こうなったら、絶対に捕まる訳にはいかない。

 小中学生の諸君。未来に逮捕されて卒業文集を引っ張り出されても恥ずかしくないように、書く内容はよく考えるように。
 

 

ハリガネムシ。
2003/10/21

 
 「全てを明らかにすると、死人が出る。」

 最近世を騒がせている、某公団の某総裁が放った言葉である。イイね。凄みがある。一生に一度ぐらいはこれぐらい凄みのある発言をしてみたいよ。

 ま、俺ならもっと迫力ある台詞を思いつくけどね。

 「全てを明らかにすると、足の爪の間からハリガネムシが出てくる。」

 「全てを明らかにすると、」に続く、イカシタ迫力ある台詞をみんなも考えてみようっ。テキストワールドのBBS「てきすとぱらだいす」にみんなのアイデアを募るっ。
 

 

でたらめ。
2003/10/20

 
 「貝殻を耳に当てると、海の音が聞こえるよ。」
 友達が、そんなことを言うものだから、当ててみた。
 「ねっ、聞こえるでしょ。」と、友達は得意げだが、どう耳を澄ましてみても、シャーというノイズしか聞こえない。空間に存在する雑音が、貝殻の中で反響してシャーと言う音がする。それだけだ。
 ここで、「えっ、聞こえないよっ。」と言った日には、俺の方が変人扱いされそうな気がしたので、「そうだね。聞こえるね。」と言っておいた。
 裸の王様の気分を味わった、幼き日のいとうけんじであった。

 「霊柩車を見たら、親指を隠さないと、親が死んじゃうんだって。」
 友達が、そんなこと言うものだから、必死で隠した。
 ある時、ぼんやりとしていて、霊柩車を見ても親指を隠すのを忘れてしまった。ヤバいよ、親が死ぬよ、と少しばかり動揺したが、20年経った現在でも、両親とも健在である。死ぬ気配すらない。
 「狼が来た。」と言うピーターの言葉に、動揺する村人の気分を味わった、幼き日のいとうけんじであった。

 ワーゲンビートルを、三台見ると願い事がかなう。
 ミミズにおしっこをかけると、チンチンが腫れる。
 明日、大地震が起こる。
 
 まったく、誰が言い出すんだか。そんな訳ないだろっ。

 愛するベイビーも、こんなでたらめな情報の嵐の中を生き抜かねばならない。
 頑張れベイビー。
 

 

虫。
2003/10/14

 
 すっかり肌寒くなった今日この頃。季節の移ろいに、密やかな哀愁を感じる。

 それなのに、出やがった。

 ゴキブリ。

 いゃぁぁぁぁぁぁっ。
 バリバリの成虫で、空を飛ぶための羽も完備。暖かな家の中で、絶好調。動きもすばやい。運良く我が家に遊びに来ていたタニモト君が、奴の息の根を止めてくれたから良かったものの、俺一人ならヤバかった。

 虫、怖い。

 今日も美しい虫の音が家を包んでいる。
 騙されるな。
 あれも虫だぞ。ゴキと同じく、家の中に入り込んでいたら卒倒してしまうこと間違いなし。虫に家を取り囲まれていると考えたら、美しい虫の音が、物凄く怖い。

 いゃぁぁぁぁぁぁっ。
 

 

河童。
2003/10/04

 
 深夜二時。
 泣き虫ベイビーをやっとの思いで寝かしつけて、家の外にでる。うひょっと言うぐらい、深夜の屋外は寒い。季節は確実に変わっているのだ。

 金木犀の甘さが鼻をかすめる。
 火をつけたタバコがそれをかき消す。
 ふぅ。
 ひと時のため息タイムだ。

 クェッ。

 夜の闇に突然、奇妙な泣き声が響いた。なんじゃ?この泣き声は。明らかに生き物の声だが、こんな気持ち悪い声を発する生き物は、河童以外に心当たりはない。
 河童か。秋の夜には河童が鳴くのだな。なるほど。

 しばらくすると、また。

 クェッ。

 今度は先ほどとは違うところから声がした。どうやら空中から聞こえるみたいだ。声の主は飛んでいる。そうか。河童って飛ぶんだな。なるほど。

 タバコを吸い終わるまでに、河童は二回だけ鳴いた。

 冷えた体で震えながら家に戻る。
 「ねぇ愛しのワイフちゃん、さっき河童が鳴いてたよ。」
 「そう。」
 「河童って、飛ぶんだね。」
 「そうみたいね。」

 今宵も、いとう家の夜は静かにふけていった。
 

 

羊雲。
2003/10/02

 
 羊雲が、夕暮れの空で茜色に染まっていた。
 アトランダムと整然の中間ぐらい、程よい規則性をもってポコポコと浮かぶ様は、ホッと心を和ませる。

 羊が増えると天気が崩れる。
 可愛らしい羊たちは平和の使者ではないようだ。

 乾いていて、少しひんやりする空気を、タバコの煙と共に、肺の奥まで吸い込んだ。こんな日の煙は、遠い彼方に置いて来た、過去の何気ない日常の何気ない場面を、記憶の中に呼び寄せることが多いのだが、今日に限って、僕の頭の中には何も流れ込んでこなかった。今目の前にある空間と時間を認識するだけだ。

 羊のせいかな。

 * * * * *

 JRが大幅なダイヤ改正をしたようで、大々的にマスコミを巻き込んでキャンペーンをしている。これまで、アクセススピードが早いものの、割り増し運賃を設定していた、「のぞみ」を大増発し、「ひかり」をほとんどなくすと言うのが、今回のダイヤ改正の目玉だ。

 実質的な運賃値上げだ。
 貧乏な俺にとっては、あまり有難くない改正だ。抗議のために、これからは少々不便でも飛行機を多用しようと思う。

 こんなJRであるが、俺は評価している部分もある。
 JRは列車の名前を必ず日本語で付ける。

 とかく舶来ものに弱い日本人。やたらと英語チックなネーミングを好む。自動車などの名前は全て、英語か、もしくは英語を元にした造語だ。日本の伝統文化である花火でさえ、スターマインだ。
 この手のカタカナ英語を、中高年の管理職あたりがカッコいいと勘違いして多用している。「若者に受けるには。」と自分のセンスの理由、勝手に若者のせいにし、カタカナ英語のオンパレードだ。

 そんな中、かたくなに日本語によるネーミングにこだわるJR。子供からお年寄りまで、きちんと言葉の違いを理解できるし、覚えやすい。

 カッコいいぜJR。

 * * * * *

 時々、誰とも口をききたくなくなる。

 別に人生に絶望しているとか、人間づきあいに嫌気がさしているとか、疲れているとか、はたまた怒っているとか、そういう難しい理由によるものではない。ただ、漠然と理由なく。会話を拒絶したくなくなるだけだ。

 この感覚は、無性にチョコレートが食べたくなって、一ヶ月間ほど気が済むまで食べ続けた後、数ヶ月間はチョコレートを食べたいとは思わなくなるのに似ている。チョコが好きなのは変わらないが、今食べたいとは思わない。

 そんな訳で、現在、いとうけんじネットに出没していません。BBSに返信をしなくてはと思うのだが。すまないみんな。芸術家の心はヘンテコなのです。

 * * * * *

 カウンターも無事100万を突破しました。
 2003年の7月17日に設置し、三ヶ月を待たずにこのカウント。
 たいしたものです。皆に感謝。
 ちなみに、「生まれてから」「死ぬまでに」「度胸だめし」「勘違い」「奇」「テキスト」以上のサイトの合計カウント。個別に設置するのが面倒だし、カウンターってあまり意味ないし興味もないので、現状のようになっています。
 すぐに外そうかと思っていたのですが、その作業も面倒なので、しばらく貼り付けておきます。
  

 

乗馬。
2003/10/01

 
 友人が乗馬を始めたらしい。

 コノヤロー。

 乗馬やっているというだけで、やたらジェントルな感じがするじゃないか。ベンツとかBMWをこれ見よがしに乗り回すより、よほど金持ちっぽい。プレミアムだぜ。

 しかし、俺には無理だな。
 馬が怖い。

 顔はでかいし、ヨダレとか、鼻水とか、よく分からない分泌物をダラダラたらしているし、リアクションはでかいし、くさいし。

 俺は植物でいいよ。

 木登りとか。
 

 

三輪ママチャリ。
2003/09/28

 
 大人用の三輪車。自転車に乗れないオバチャンが乗る、ママチャリの三輪車。

 おじいさんが、三輪ママチャリをこいでいる。大きな荷台のかごの中に、おばあさんが座布団をひいて座っている。微笑ましい老夫婦の、愛ある光景である。

 道は上り坂になった。

 おじいさんはつんのめる様に、ハンドルにしがみ付き、必死でこぐ。
 しかし地球の引力に負け、進まない。
 おじいさん、ペダルから足を離し、地面を足でジタバタと蹴る。
 かろうじて進む。

 ジタバタ、ジタバタ。

 じいさん、降りて手で押して行けよ。
 って言うか、ばあさん、降りろよ。

 ジタバタ、ジタバタ。

 あまりに馬鹿馬鹿しく、俺は最後まで見届ける事なくその場を立ち去ったが、その後どうなったんだろう。ジタバタと坂を登りきったのだろうか。

 そして、下りは?

 物凄い勢いで風を切って駆け抜けていったのだろうか。
 

 

泣くなっ。
2003/09/23

 
 ベイビーちゃん。今夜も力の限り泣き叫ぶ。夜泣きと言うやつだ。精神的にタフなハードボイルドないとうけんじも、さすがに参ってきた。降参です。助けてください。

 アンギャー、ギャー、ギャーっ。

 このヤロー。
 そっちがそう来るなら、こっちだって負けていられない。
 俺だって泣き叫んでやるっ。

 ぐえーんっ、どわーんっ、どひゃーんっ。

 ベイビーちゃん、俺の泣き叫ぶ声に驚いて泣き止む。
 どうだ参ったか。俺が本気を出せばこんなものだ。がっはっは。
 しかし、俺が泣き叫ぶのを止めると、またベイビーちゃんが泣き叫ぶ。

 アンギャー、ギャー、ギャーっ。

 ぐえーんっ、どわーんっ、どひゃーんっ。

 夜の街にこだまする、いとうけんじとベイビーちゃんの雄叫び。

 いやはや、秋ですな。
 

 

泣くなっ。
2003/09/22

 
 ベイビーちゃん。一ヶ月点検を無事終了。
 点検の結果、身長が6cm、体重が2kg増加していた。実はこれ、スゴイんです。普通の赤ん坊の二倍、成長しているんです。

 ヤバいよ。

 このままいくと、身長3m50cm、体重120kgの大男になってしまう。
 困った。
 着る服にも、住居にも困るばかりか、乗り物にも乗れない。街を歩くと電線に引っかかってしまう。デイダラボッチというあだ名を付けられてしまう。
 ふ、フビンだ。ベイビーちゃんの将来を思うと夜も寝られない。

 そうか、だからベイビーちゃんも夜寝ないで泣いているんだな。

 ミルクをあげても、おしめを変えても、ほっぺたコチョコチョしても、抱っこしてヨシヨシしても泣き止まないのは、デイダラボッチになることを憂いていたからだな。

 泣くなベイビー。

 

耕運機。
2003/09/21

 
 俺の住んでいる街は、今でこそすっかり住宅地になってしまったものの、昔はのどかな田舎町だった。田園が広がり、森や小川があって、そりゃもう、のどかだった。

 耕運機って知っているかな。

 田んぼや畑を耕す農業機械だ。農家のおじさんは、耕運機とリヤカーを連結した、小さなトレーラーのような乗り物を、日常の足にしていた。のどかな田舎道を、耕運機に乗ってのんびり走る。道路交通法上は、公道を走ってはいけないのだろうが、そこはほら、田舎だから、OKなんです。

 学校帰りの道中で、耕運機が走っていたら。
 それは俺たちにとって、動く歩道だった。
 俺たちは走っている耕運機に駆け寄り、リヤカーの荷台に飛びついてしがみ付く。歩かなくても耕運機が俺たちを運んでくれる。楽チンだし、物凄く楽しい。

 ガキンチョどもが、リヤカーに群がって、しがみ付いてきても、おじさんは完全に無視。
 ガキンチョに気付かない訳ないのだろうが、何事も無かったように耕運機を走らせ続ける。
 何があっても、知らんぷり。
 荷台にわんさとガキンチョをぶら下げて、耕運機はトコトコと、走っていくのである。

 リヤカーのサイド側にしがみ付いていた、トモヒロ君が、手を滑らして落ちても。

 トモヒロ君の体が、リヤカーの車輪に轢かれても。

 トモヒロ君が泣き叫んでいても。

 おじさんは完全に無視。

 何事も無かったように耕運機を走らせる。ガキンチョを一人轢いたのだから、気付いていない訳なかろうが、そ知らぬ顔で、のんびりと耕運機を走らせ続ける。

 慌てて、俺はリヤカーから降りてトモヒロ君に駆け寄った。
 トモヒロ君の股間から肩にかけて、リヤカーの車輪の跡がくっきり残っている。
 幸い、擦り傷程度で、たいした怪我はしていないようだ。
 ホッと胸をなでおろした。

 この事がトラウマになったのだろう。トモヒロ君は、ゴミ収集車の後ろにしがみつく清掃員という職業には就かなかった。

 

乳癌検診。
2003/09/19

 
 世論は正しい。民主主義の世の中なのだから、大衆の意見というものは尊重されなければならない。
 これは、ある意味正しくて、ある意味間違っている。そもそも世論とはなんぞや、と言う事だ。世論の動向は、ほとんどすべてマスコミの報道によって作られている。我々大衆は、各メディアの報道以外に、物事を判断するよりどころがないのだ。

 北朝鮮はトンデモナイ国だ。日本人のほとんどがそう思っている。もちろん俺も。
 「なぜそう思うの。」と問われたら、日本人は何と答えるだろうか。
 「ラチ。」
 「カクヘイキ。」
 「ドクサイシャ。」
 「センノウコッカ。」
 口々にトンデモナイ国たる理由を答えるであろう。

 「それって、本当なの?証拠は?」
 と問われたら、どうだろう。テレビや新聞で報道されている内容を答える以外に、我々にはすべがない。自分自身が見聞し体験した確信的判断から、北朝鮮はトンデモナイ国だと言っているわけではない。100%メディアからの情報だ。メディア報道の受け売りなのだ。

 これは、映画やドラマの感想を言うのに等しい。空虚で無意味なものだ。

 ま、北朝鮮はやっぱりトンデモナイ国だとは思うが。

 松本サリン事件の時、一人の罪なきサラリーマンが、犯人として疑いをかけられ、マスコミはこぞってそれを報道した。日本人の多くは彼が犯人だと信じた。

 マスコミが白だと言えば白。黒だと言えば黒。大衆の世論や価値観はメディアの報道に作られているのだ。マスコミの報道が間違っていれば、大衆は誤った道を歩む。何らかの意図をもって大衆を操作しようと思ったら、マスコミ報道をコントロールすればよい。

 最近、触診による乳癌検診についての報道が、各分野で盛んにされるようになった。

 触診とは、医師が手で触って病巣がないかどうかを診断する方法だ。
 盛んに報じられているのは「触診による乳癌検診はヒドイものだ。」ということだ。触診による乳癌検診ではガンを見つけられず手遅れになったとか、医師は検診費用を稼ぐために、適当に診断しているとか。こうした報道で、大衆は触診による乳癌検診は受けるだけ無駄だと思うようになる。

 これは真実なのだろうか。
 触診による乳癌検診でガンが見つかって命を救われた人の方が、見落とされてしまった人の数より圧倒的に多い。毎年受診していれば、最初の年に見落としたガンを翌年見つけられるというケースも多い。検診によって、自己管理への意識が高まり、自分でガンを見つけられたという事例もある。
 触診による乳癌検診であっても、検診受診はかなり意義があるのだ。

 検査というものは、パーフェクトなものではない。これは触診による乳癌検診に限った事ではない。厚生省が法令で定めようとしている、マーモグラフィーによる乳癌検診だって同じだし、他のありとあらゆる検査や検診も同じだ。
 だからこそ、定期的な検診が必要なのであり、自己管理が大切なのである。

 厚生省が、触診だけの乳癌検診を取りやめるという方向性を打ち出してから、マスコミの報道は、触診の乳癌検診への批判報道を始めた。世論はそれに倣っていく。
 厚生省の、検診受信者数を抑制し、検診費用を減らしたい、そんな意図を感じずにはいられない。

 数年前、医療費の自己負担引き上げの際に、「病院の待合室は、老人の憩いの場になっている。」との報道が盛んにされた。そして高齢者の通院に対して批判が集中した。
 しかし、実際にはそんな光景は、どこの病院を探したって見つからない。好きで病院に通う人なんていない。暇つぶしに受診する人なんていない。友達と語らうために通院する人なんて、存在しないのだ。
 ま、年寄りは不安がために、同じ主訴で色々な病院を渡り歩き、行く先々で大量の薬をもらうという状況はあったが。でもこれは、老人の不安を受け止められない社会の問題であり、一人の医療データを、一括管理できない医療システムの問題だ。老人が責められる言われはない。
 「老人の受診は悪。自己負担の引き上げやれよ。」という世論がメディアによって作られ、厚生省の制度改正の後押しをした。高齢者の受診抑制と、医療費の公費負担の圧縮は、まんまと厚生省の思惑通りになった。

 大衆をコントロールするのは意外にたやすいものだと、我々は肝に銘じなければならない。
 

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