電気ブラン。
2010/02/15

 
 そうか、今君は東京か。東京にいるのなら、みやげとして君に頼みたいものがある。いつも忙しく通り過ぎつい買いそびれてしまっているものがある。時間が許すなら、立ち寄って買ってきてくれないか。浅草の「電気ブラン」という酒で、浅草の神谷バーという店と、その近くのデパートの地下でしか買う事ができない。久しぶりに、電気ブランの甘い香りとスムースな喉越しと安いアルコールならではの側頭葉がしびれるような酔いを楽しみたくなった。

 電気ブランについて考えるといつも蘇る記憶がある。それはささやかな恋の記憶だ。そんな話聞きたくはないだろうが、僕は言葉にしてみたくて。聞き流してくれていいので一方的に語らせてくれ。1996年、イタリア・バルセロナでオリンピックが開催された年。23歳の僕は武蔵野に住んでいる女性に恋をして12月14日最初で最後のデートをした。そんな話だ。

 その日は土曜日で、僕は休みをとって朝から東京に向かう予定にしていた。しかし、担当している患者の家族との面談が必要となり、予定を遅らせなければならなくなってしまった。仕事を済ませ新幹線に飛び乗った時には夕刻が後ろから迫っていた。東京の駅に列車が到着したのは午後6時を過ぎ。すでに夜が始まっていた。彼女はホームに白いハーフコートを着て立っていた。起毛の生地でできたそのコートの脇の下には、少し毛玉ができていた。そして、とても彼女に良く似合っていた。
「よく似合っている」と僕が言うと、
「姉のものを借りてきたのよ」と彼女は言った。
 彼女に会うのは二ヶ月ぶりだった。23歳の僕らにとっては、二ヶ月はとても長い時間に感じられ、その感覚の上では、とても久しぶりの再会だった。人の記憶は都合のいいもので、例えば長期間会わなかった人間のイメージは、記憶の中でどんどん美化される。長いブランクの後に再会を果たすとがっかりすることも多いが、彼女は僕を少しもがっかりさせなかった。目の前の彼女は、直視するのがためらわれるぐらいチャーミングで、僕はまぶしさに目を細めて彼女を眺めていた。

 久しぶりの気恥ずかしさや戸惑いはあったが、言葉を一つ二つ交わしただけで堰き止めていた川が一気に流れだすように、僕らの会話はリズムを伴って流れ始めた。僕は持てる自分の知識とユーモアを精一杯引き出しから引っぱり出して会話を構築した。彼女は楽しそうに僕の会話に乗っかって、きれいに言葉を返してくれる。途切れることのないジャズセッションのように僕らは次々と言葉をぶつけ合った。僕の言葉が彼女のツボをうまくとらえると、彼女が非の打ち所がない笑顔を返してくれる。そのたびに身をよじるほどの喜びが駆け抜け、僕は笑いながら次の言葉を考えた。ただの一瞬も無駄にしたくなく、歩きながら、信号を待ちながら、列車で移動している時も渋谷の小さなテーマパークで遊んでいる時も、彼女の家の近くの店でアルコールを飲んでいる時も、むさぼるように言葉を交わした。それは肉体をぶつけ合って愛し合うことよりもお互いを激しく求めあう行為で、深く、強く心は抱き合っていたのだと思う。

 大学を卒業した後、僕は一年ほど小さな商社で働いた後、地元の病院に就職をした。それが1996年、この年の春だ。新人は、しばらく研修ばかりの日々が続く。その一つとして、研修専門の企業が同職種の新人に対して技術習得をさせるためにプロデュースした研修会に参加した。全国の病院から同じ職種の新人たちが京都のホテルに集まっていた。その研修の場で、僕は彼女と出会った。雨が降ったり止んだりしている、6月のある日の事だった。研修の日程の中で、たまたま隣り合わせた彼女と、チームを組むことになった。出された課題を一緒になって取り組んだり、食事などを共にする中で、僕はすっかり彼女に魅かれてしまっていた。魅かれた理由は、可愛かったから。そして、交わす言葉のリズムがとても心地よかったから。上手いベースとドラムをバックにギターを弾くと自分の演奏技術が向上したかのように感じることがあるが、その感じだ。彼女と会話をしていると自分がユーモアと知性がある人間だと錯覚してしまう。三日間の研修が終わって家に帰ったその瞬間から僕は彼女との会話に飢えていて、たまらずその夜に東京の彼女の家に電話をかけた。当時はまだ携帯電話は誰も持っていない時代。最初に彼女の父親が電話に出て取り次いでくれた。その緊張感の後、彼女の声が聞こえてくると全身が弛緩するような安堵を感じた。

 それから、もっぱら電話と手紙が僕らのコミュニケーションツールだったが、毎日のように頻繁に連絡を取りあった。そして、何度か、仕事の出張先の東京や熱海で一緒になったりもした。同じ仕事をしているという部分での共通の話題も多かったのだが、それ以外のどんな話も、不思議なぐらいぴったりとお互いの感性にハマった。お互いがお互いの価値観や人生観を受け入れることができたし、そして何より彼女の声は聞き心地がよかった。

 時間の経過と供に、僕はますます彼女に強く魅かれていった。いや、最初からゆるぎなくひきつけられている気持ちを時間とともに自覚していったというべきか。そして自覚していく過程の中で、僕は彼女に逐一それを伝えた。
――君の選ぶ言葉が好きだ。あの絵を見て君が言った感想が好きだ。君が怒りを感じるポイントが好きだ。君が好きな食べ物が好きだ。君がもう一度見たがっている景色を僕も見たい。仕事を終えた深夜の病院で、君が今何をしているか思いを馳せた。レセプトの締め切りに追われながら、君もまた同じように過ごしているのだろうか。君もふとした瞬間に僕のことを思うことがあるのだろうか。
 客観的にみれば僕は彼女に片想いをしているだけである。僕が言葉にして伝えたのは、片想いの過程の中で自分の心の中で処理するべき感情や思いである。このやり方は、僕の弱さであり、狡さでもあった。気持ちが成熟してからの告白を拒まれて傷つくことが怖かったのである。彼女が拒むならすぐに気持ちを切り替えて引き返せるようにと、逃げ道を用意したやり方だった。と同時に、あふれ出す気持ちを自分の中にとどめておくことも到底できなかったのである。
――僕はどんどん君が好きになっている。
 そして彼女は拒絶しなかった。彼女は僕の片想いをすべて受け止めてくれた。

 それでも、僕と彼女が恋人という定義に納まらなかったのは、二人の間に物理的に存在する距離を、彼女が受け入れることができなかったからだと僕は思っている。彼女は僕の想いを拒まなかったが、同じものを返してくれることはなかった。きっと彼女の心の中にも僕に惹かれる気持ちがあったと思うし、そう信じたい。ただそれを言葉にすることをためらっていたのだと思う。
 二人の会話はいつも他愛のない話題から始まる。読んだ本の感想、親のこと、兄妹のこと、スポーツ選手の新記録の話、政治が僕らの働く医療業界に落としている影、職場で起きているささやかな理不尽、とめどなく会話が続いたあと、僕は彼女にあふれ出す気持ちを伝える。
「僕は、君の事がとても好きなんだよ」と僕が言うたびに、
「とても、会いたいと思った時に会えないじゃない」と、彼女は言った。
「車を飛ばせば、5時間で君に会える」
「じゃぁ、今から来てよ」
 こんな話になるのは決まって深夜だった。車を飛ばして東京まで行き、翌朝最初の新幹線に乗れば次の日の仕事に間に合う。しかし、いつもそれを行動に移すことはなく二人の空想のままに終わるのだった。
「やっぱり、無理だよね。私、好きな人にはどうしても側にいて欲しい時があるの。いつもじゃなくていいの。でもどうしても会いたいときには会いに来て欲しいの。それができないのは耐えられない」
 彼女は僕を試していたのかもしれない。あるいはそれを実行できなかった僕の恋心はそこまで成熟していなかったのかもしれない。そして彼女はそれを見透かしていたのかもしれない。二人の恋についての会話は、いつもここで終わるのだった。
 僕たちはこんな風に時間を重ね、12月14日を迎えた。

 武蔵小金井の駅前のファミリーレストランでアルコールをひとしきり飲んだ後、深夜の街を彼女の家に向かって歩いた。その日は彼女の家に泊めてもらう話になっていた。とても寒かったので僕と彼女は体を寄せ合ってゆっくりと歩いた。何度も彼女を抱きしめたい衝動にかられたができなかった。「今から来て」という言葉に応えられない中途半端な僕にはその資格がないと思った。いや違う、正直に言うと、だだただ勇気がなかったのだ。彼女の肩に軽く手を乗せて、彼女のコートの肌触りと、彼女の歩く振動を感じながら、アルコールに火照った頬を12月の夜の風で冷やした。

 彼女は両親と姉と暮らしていたが皆外出していて、その日は家人と顔をあわせることはなかった。シンと静まり返った家の、僕のために寝具を用意してくれた客間で、僕たちはまた時間を忘れて話をした。いつまでも僕たちの会話は尽きることがなかった。それでも、僕は彼女を抱きしめることができなかった。

 翌朝、僕が眠ってから帰宅していた彼女の母親が布団を下げてくれ、僕は歯を磨いて一人で散歩に出た。僕にとっては縁もゆかりもなかった街。でも彼女は生まれてからずっと眺めていただろう景色。子どもの頃の彼女がランドセルを背負って歩いたかもしれない街角。彼女が歩きながらちぎったかもしれない椿の垣根。彼女が意識すらしないで通り過ぎているのであろう景色を僕は心のスケッチブックに刻みながら足を運んだ。20分ほど歩いて戻ると、その間に彼女はピザトーストを焼いてくれていた。朝食を済ませると僕らは博物館に行って大きな恐竜の化石を眺めた。
「もし、私が化石になって、何万年後かの人類の手によって博物館に飾られたらいやね」
 彼女がつぶやいた。
「僕たちは火葬されるから、化石にはならないんだ」と僕は答えた。

 それから浅草に行き、一本ずつ「電気ブラン」を買った。簡素なビニール袋に入れられた「電気ブラン」のビンをそれぞれ抱えて街を歩いた。道端に仮設された宝くじ売り場で年末ジャンボを買った。オフィス街の地下の古い喫茶店でコーヒーを飲んだ。その店の主人は、「コーヒー」を「カァーフィ」と発音した。彼女と僕は苦笑いをしたが、出てきたコーヒーはとても美味かった。

 そして、二人で東京駅へ向かい、彼女は入場券を買い二人で新幹線を待った。
 列車が到着するとすぐに僕は入り口近くの座席に座った。恋人同士であれば、列車の入り口で手を握り合ってギリギリまで別れを惜しむのだろうが、僕らはそうではない。二人の物語はハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、何の結論も、何の約束もないまま唐突に終わろうとしていた。それはまるで地球上のすべての時間から切り離され、宙に浮いたシャボン玉のようであった。僕らは未来につながっていない。
 窓からホームを見ると、彼女が「電気ブラン」を抱えて立っていた。僕が軽く手を振ると、彼女はそれに応えることなく、きびすを返して僕の視界から立ち去ってしまった。僕の姿は列車の外からは見えなかったのかな、もう帰ってしまったのだなと思い、少し落胆しながら体を正面に向けた。と、次の瞬間、

 彼女が僕の目の前に立っていた。

 彼女は両手を差し出した。僕も思わず同じように手を差し出すと、彼女はそれをグッと握り締めた。彼女の目は真っ直ぐに僕を見つめた。僕の耳からは音が消え、時が止まったように感じた。列車の発車のベルが鳴るまでのほんのわずかな間、僕と彼女は何も言えず、ただ手を握りあっていた。

 これが「電気ブラン」に関する僕の記憶だ。
 ビンのラベルは東京の下町の庶民の、粋でハイカラな風情がある。「電気ブラン」とは、電気に打たれたようにように、しびれるように酔ってしまうブランデーという意味らしいが、アルコールはブランデーのように丁寧に蒸留されたものではなく、工業的に作られた安物だ。しびれるように酔うというあたり、安物のアルコールの象徴だ。これを香料とシロップで味付けをして、飲み易くしたリキュールだ。度数が強いのにスイスイと喉に入っていくので、ついつい飲みすぎてしまう。そして、たちまち電気で打たれたように酔いつぶれてしまう。今たまらなく「電気ブラン」が飲みたい。

「車を飛ばせば、5時間で君に会える。」
――あの時、その勇気を出せなかった自分を叱りつけながら。

 

Produced by 110kz.com

Sponsor Site