神様の取り分。
2006/04/05

 
 「天使の分け前」「神様の取り分」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか。これはウィスキーの醸造職人の間で使われる言葉で、ウィスキーを何年もかけて熟成させる間に、自然に揮発して目減りすることを、こう呼ぶのだそうだ。

 熟成期間に消失する部分は、必要不可欠なロスであり、目減りすることがすなわち、熟成が進み、美味しいウィスキーができている証拠なのだ。

 時間と言うのは、言わば神の支配する領域だ。時間をかけて熟成させる作業は、全てを神にゆだねることだと言える。神の懐に抱かれて、ウィスキーは味に深見とコクを増していく。そしてその間に、神も少しずつ、少しずつ、ウィスキーを楽しんでいるのだ。そんな風に、職人たちは感じたのだろう。何と情緒的で美しい表現だろうか。

 ウィスキーは神が味を仕上げている。

 ところで、実は我が家にも、同じ種類の神がいる。何の神かと言うと、靴下の神だ。

 なんかね、時々、靴下の片っぽうだけがなくなってしまうのよね。靴下が、物理的に蒸発するわけないと思うんだけど、なんかね、なくなっちゃうんですよね。

 オレは、結構几帳面な性格で、靴下を脱ぐ場所も、脱いだ後に置く場所も決めている。にも関わらず、靴下の片っ方だけが忽然と姿を消す。これはもう、神様の取り分ということにでもしなければ、説明がつかない。

 でも、ひょっこり、ひょんなところから出てくるかも知れないと思うと、残ったもう片っ方も捨てるに捨てられない。たかだか靴下。それも三足1,000円程度の安い靴下なんだけど、捨ててしまった後で、もう片っ方が出てきたら、とても悔しい思いをすると思う。こういう種類のすれ違いって、なんか切なくってキュンとなってしまって、オレはダメだ。

 例えば、勇気がなくて告白できなかったあこがれの人が、実は相手も自分の事が好きだったと、何年も経ってから知る、みたいな。かくれんぼで隠れているのに、いつまでたっても誰も見つけてくれず、仕方がないので自分で出てきたら、かくれんぼは終わってて、みんな帰ってしまった後、みたいな。

 あー、もう、切ない。胸がキュンとなる。だから靴下も捨てられない。キューンとなる。

 そんなこんなで、相方を失った靴下がもう二つも、クローゼットに吊るしてある。

 と、ふと足元を見ると、あれ?

 今はいている靴下の左右が違うじゃん。色が似ているから全然気が付かなかったけど、よく見たら、長さとか、色目とか、一番上のゴムのところの形とか、全然違うではないか。も、もしかして。

 クローゼットに行って確かめてみると、やっぱり。それぞれの相方がいるではないか。やや、これはオレがうっかりだった。この、ウッカリさん。危うく神様に濡れ衣を着せるところだった。

 オレってば、ウッカリさん。
 ウッカリさんって、なんかカワイイな。モッコリさん?あ、モッコリさんでもいいな。いや、むしろ、モッコリさんだな、オレ。おっと、そんな話はどうでもよく。

 神様ゴメン。
 

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