肺活量とは、肺の換気能力を示す値である。分かりやすく言うと、肺の容量だ。正常な成人の平均は5000ccぐらいだと言われているから、それを越えている人は、自慢していい。
うっひゃっひゃ。オレってば6,000ccも肺活量があるんだぜ。
車で言えば、外車だぞ、君は何だ、軽自動車か、ぐはははは。
ま、こんな感じで、小排気量の凡人どもを蹴散らしてやってくれ。
で、肺活量が多いと何か良い事ある?
え。
ええっと。
風船が一気に膨らませられます。
長い間息を止められます。だから、臭いトイレで臭い空気を吸わずに済みます。
どれだけ長い間、声を出し続けられるかという競争で、敵に勝てます。
バースデーケーキの蝋燭を、一気に吹き消す事が出来ます。
あとは、ええっと。
ええっと。
いやはや。
ま、どうでもいいですわな。肺活量が少々大きかろうが小さかろうが日常生活には何の影響もない。
意味はないんだけど。
何もいい事はないんだけど。
でも、やっぱり、何かうれしいと言うのが本音だ。
こう言うのって、肺活量以外にも沢山あるね。
握力が強い。
指が変な角度に曲がる。
耳たぶがでかい。
ほっぺの皮がやたら伸びる。
体が柔らかい。
髪の毛の伸びるのが早い。
一日に3回はうんこが出る。
ベロが鼻につく。
いずれも自慢出来る特技だ。一つの才能だ。
そう言えば、オレ、耳が動かせます。めっちゃ早く動かせます。
ほら。
オレも才能を一つ発見。オレにも才能があったよ。どうだっ。
過去の人生を振り返れば、小さい頃から、親や学校の先生やから、
「どんな人間にも一つは取り得がある。誰にでも、一つは何かの才能がある。」
そう言われて育ってきた。自信を持って欲しい。夢を持って生きて欲しい。自分の生きる価値を見出して欲しい。そんな願いと、愛のこもった言葉だ。そして、ダメ人間を励ます時の、都合のいい言葉だ。
もちろん、オレはこの言葉を信じてきた。オレにも何か飛びぬけた才能があるはずだと。
「何か、きっとある。何なのかは分からないけど、絶対にある。」
おかげさまで、つい先ほどオレの才能に気付くことが出来ました。信じて生きてきた甲斐がありました。ありがとうっっっ。
そうと分かれば、もう、これでもかと言うぐらい耳を動かしてやるっっっ。
うごごごごっ。うごごごごっ。
でも、確かに飛びぬけてはいるけど、うれしくないと言うか、ありがた迷惑と言うか、出来ればもっと他の才能の方がいいんですけど。野球とか、サッカーとか、数学とか、もっと役に立つ才能がいいです。他にないかな。
天は人に二物を与えず。
えええっ。そんなぁぁぁぁぁっ。
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