緊急声明。
2001/09/27

 
 アメリカで、凄惨な同時多発テロが起きた。
 宗教や、思想信条をの違いをもっても、決して許されることではないし、厳しく糾弾していく必要がある。テロはごく滅しなければしなければならない。

 このテロ事件への報復として、アメリカがアフガニスタンへの軍事行動の準備を進めている。でもこれは、違うのではないかと思うのだ。

 極端な事例で、今の問題を考える比喩にはならないかもしれないが、たとえば、オウム真理教が、アメリカでサリンを撒いたとする。その報復として、東京が戦火にさらされる。これはどう考えても矛盾がある。
 もっとも、そんな事件が起こったとしたら、日本政府はオウム真理教を擁護することなどしないだろうから、適切な比喩ではない。
 でも、アフガニスタンの国民にとっては、これに近いことなのだ。
 何ら関係ないのに、住む場所を追われる。戦火にさらされる。命を奪われる。

 戦争になった時、死ぬのは一般市民だ。女や子供や老人たちだ。何も分からない下級の兵士たちだ。誰かの恋人であり、誰かの息子であり、誰かの母親である、一般市民だ。
 そして、たいていの場合、首謀者やえらい奴は死なない。戦争はいつも、そういう仕組みになっている。

 「テロと戦うこと・テロを解決すること」と「アフガニスタンと戦争すること」は、イコールではないのだ。アメリカだけでなく、日本までもが、この等式では結ばれない矛盾した理論のもとに、戦争の準備を始めている。「この戦争は正義である。だから法律を変えてでも、戦争に参加しなければいけない。」と。

 「テロ問題」と「戦争」は別物で、一緒に考えてはいけない。

 テロは許してはいけない。でも、その解決方法をどうしたらよいのかを、何故考えないのだろう。報道されるのは、どんな武器を使って、どこに飛行機を飛ばして、どうやって戦争をするか、ということだけだ。

 「戦争」そのものの是非について、何故考えないのだ。
 
 アフガニスタンを攻撃することが、本当にテロを解決する方法なのだろうか。
 この戦争は、本当に正義なのだろうか。

 もう、誰も殺さないでくれ。
 

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