便座。
2001/08/15

 
 生理的欲求を満たすのは、何ものにもかえがたい快感である。

 食事。排泄。性交。睡眠。いずれも、理屈ぬきで素晴らしい快楽を与えてくれる。この快楽には理屈がない。万国共通、誰にでも平等に与えられた権利であり、平等に得ることが出来る。

 よく、音楽には国境がないと言うが、それは違うと思うんだ。音楽が出来る者の論理であって、国境はなくとも、才能や感性というもので区切られている。こんなもので人が理解しあえるなんてないさ。

 国境を問わず、民族、人種、性別、年齢すべての個人的要素を超越して共有できるのは、生理的欲求の充足以外にない。これをコミュニケーションの一つとして使わない手はない。

 オレが言うまでもなく、食事は、コミュニケーションに使われている。生理的欲求である食事を、共にするということで、新密度を増すという効果があるからだ。しかしオレに言わせれば、国際化社会のコミュニケーションとしては不十分である。食文化と言うのは、地域によってかなり異なり、場合によっては不快な思いをすることもあるからである。

 では、国際化社会に適したコミュニケーションとは何だろう。
 性交、これは宗教上問題がある。睡眠、これはコミュニケーションにならない。察しのいい諸君ならもう気がついただろう。そう、排泄だ。

 日米首脳会談も、便器に座ってするべきなのである。
 国連の会議も、皆、便器に座ってすべきなのである。

 大便が放出される瞬間の、満身創痍(まんしんそうい)の快楽と、それによってもたらされる無防備で裏表のない幸福に満ちた笑顔は、どんな困難な外交でも、円満に運ぶことを可能にするだろう。経済的な思惑も、軍事的な力関係も、政治的圧力も、この快楽の前には一切無力なのである。

 「コイズミ君、私は早くももよおしてきたぞ。」
 「ほほぅ。それでは、私もいこうかな。ブッシュさん。」
 「うーん。」
 「むむむっ。」

 ポチャーン。
 ポトーン。

 「はぁ、幸せだねぇ。」
 「同感です。」
 「ところで、京都議定書の批准の件なんですけど。」
 「そうだな、意地を張らずに批准することにしようかな。」
 「そうしましょう。意地張っててもしょうがないですよ。」
 「私は、第二派が来そうなんだけど。そっちはどうだい、コイズミ君。」
 「私もまだまだ出ますよ、ブッシュさん。」

 ポチャーン。
 ポトーン。

 なんて友好的で平和な会談だろう。愛想笑いと社交辞令ばかりの会談よりずっと素晴らしいものになるのは間違いない。
 

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